◎7月4日(土)

 午後からお茶の水へ。6月12日のブログに登場した陳昌敬氏(親友・昌ちゃん)のお店の「店じまいお別れパーティー」があるのだ。JRお茶の水駅で降りて聖橋を渡り、まずは湯島聖堂へ。孔子様に代ゼミの教え子&次男・三男の合格をお願いする。

湯島聖堂・大成殿
シンボルカラーは黒

 12時、東京医科歯科大裏の東京ガーデンパレス到着。主賓挨拶と乾杯の音頭を依頼される。出席者のうち、職業柄一番の適任ということらしい。確かに、宴席となると必ず挨拶を頼まれ、「よわった」と頭をかかえつつも、実は喜ぶ自分。予備校講師の悲しいサガであろうか。
 司会は東大・大学院で博士課程を終えたばかりの関君。将来間違いなく東大教授になる器だ。いまだに「先生の授業が、この道に進んだきっかけです」とたててくれているが、「青出於藍」の見本のような優秀な若者である。主務は、厚生労働省・キャリア官僚の佐藤君。彼のような官僚ばかりだと、日本もよくなるのになあ。

昌ちゃんの挨拶、右は関君

 昌ちゃんが、(自分も学生時代にバイトしていた)老舗の中華料理屋をたたみ、中華風パブ「杏花村」を本郷菊坂に、それも「人の輪作り」を目的に開いたのが5年前。「人の輪第一、経営二の次」であったせいか、残念ながら赤字続きで、本日その歴史に幕を下ろすことになったわけだが、「人の輪作り」は大成功だったようだ。本日は、何十回も菊坂に足を運んだ常連だけで、五〇人を超す人々が集まってくれた。自分も代ゼミの同僚、高校、大学時代の友人、編集者、同じ本郷だということで東大関係者、殷さん、ブラッド、スティーブなど外国の友人、教え子など、多種多様な人々を連れて行ったわけだが、昌ちゃんの人柄と教養は、がっちり皆のハートをつかんだようだ。今ではほとんどが彼のファンとなっている。

東大系の朋友
底抜けに明るい伊東先生
(教授・中国近世思想史)


 途中で昭和歌謡とオペラの名手である亀井君(早大卒・政治家修行中)が、皆のリクエストに応えて一曲披露する。玄人はだしの美声に聞き惚れる。二年後に千葉市議会選挙に出馬予定(無所属)の熱血青年だ。人柄の素晴らしさ、ぶれない正義感については、代ゼミ時代からよく知っている。できるだけ応援したい。

マニフェスト用写真風!

 なお、皆の強い要望のもと、店が存続する可能性も出てきたことをつけ加えておこう。

※湯島聖堂─江戸・元禄の頃、五代将軍徳川綱吉によって建てられた「孔子廟」。JR御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡る時に見える、秋葉原手前の森がそれ。湯島天神とともに、受験シーズンになると合格祈願の受験生が全国各地から訪れる。ちなみに山東省・曲阜の孔子廟(世界遺産)のシンボルカラーは赤。

聖橋上から
左手の森が湯島聖堂
奥は秋葉原
手前は地下鉄丸ノ内線
右側はJR中央線

◎7月3日(金)

 
勤め先である代々木ゼミ本部校の金曜日1学期最終講義。ところが、中国国歌を利用して作った「代ゼミ生応援歌」の中国語歌詞ポスター(黒板貼り付け用)を家に忘れてしまう。
(>_<) 仕方がないので、二学期末に披露することに変更。生徒の皆さん、ごめんなさい。
 帰宅後、メールの返事を早めに切り上げ、同時進行で読んでいた
 杉本信行「大地の咆吼」(PHP文庫)
 森村誠一「魔痕」(徳間文庫)
 南英男「私憤」(徳間文庫)
 中井浩一「日本語論理トレーニング」(講談社)
 木原浩勝「九十九怪談」(角川書店)
の五冊を、明け方までかかって読了。

◎7月1日(水)

 勉強の合間に、みなとみらいの109シネマズまで「剣岳点の記」を見に行く。映画の中で舞台となる「剣岳」は、岩と雪の殿堂とよばれ、北アルプスを代表する名峰である。昔も今も、本格的に山をやるものに抜群の人気を誇る。実は、自分はその剣岳に四度登っているのだ。

春の剣岳

 映画の中で描かれた時代─明治時代、まだ前人未踏の魔の山と怖れられていた、その剣岳山頂に三角点を設置すべく、厳しいルートに果敢に挑戦した、陸軍測量部の柴崎芳太郎と彼をガイドした宇治長次郎を描いたのが、この「剣岳点の記」だ。そして、自分が初めて剣岳に登った時にとったルートが、長次郎その人の名前を取った長次郎雪渓である。長次郎雪渓から、八峰、池ノ谷乗越を経由し、北方稜線を縦走した。

チンネ左稜線
 
 そのほかにも、三ノ窓雪渓から、チンネ、八峰の頭経由で一回、源次郎尾根経由で一回、そして、ポピュラーな別山尾根から一回である。源治郎尾根経由で登ったときは、真砂沢にベースキャンプをはり、約十日ほど八峰でロッククライミングに励んだ。

八峰6峰〜1峰

 そして、いずれの時も一緒だったのが、現在某大学で教鞭を執る中島先輩(独身)だ。実は、その中島先輩に「また山をやらないか」と最近誘われているのだが。今の自分だと、かなりトレーニングを積まないと、なまった身体は動かないだろうと考え、断り続けている。だが、今日「剣岳点の記」を見て、かつての「やまや」の血が騒いだのは事実。
 20年ほど前、親しかった後輩二人が、冬の後立山連峰・鹿島槍ガ岳南峰直下で遭難死(雪庇を踏み抜き滑落死)。山で彼らの遺体と対面した時から、本格的な山(冬山とロッククライミング)はやっていない。
 が、ひょっとして、トレーニングがうまくいけば、今年の冬あたり、(家族全員の許可が出たらの話だが、)山を復活させようかなと考えた一日であった。

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