はじめにーうっかりアップが遅れてすみません。
このサイトは、ブログサイトであって、単なるブログサイトではない。小生の目標とする姿は、小生の日常を綴るサイトではなく、メッセージを発信するサイトである。すなわち、単に「自分の内面を見てくれ」ではなく、一つのテーマにしたがって、「自分はこう考える」と、自分のビジョンを語るものである。
もっとも、現在、まだその理想型となっていないことは否めない事実であるが、それでも、小生には、読者の皆さんが読み応えのあるものを書くという義務がある。今回は、多くの読者の皆さん、つまり、代ゼミで顔を合わせる教え子たちや友人たちのリクエストにこたえ、久しぶりに(小生十八番の中国文学から)大恋愛小説「紅楼夢」をとりあげてみることにした。
――紅楼夢とは?――
●恋愛小説の最高傑作!
「紅楼夢」は、清の雍正年間(十八世紀)に書かれた長篇小説である。主人公の貴公子と二人の女性との情愛を、清朝大貴族の華麗な生活と様々な登場人物の中で見事に描いており、中国古典恋愛小説の最高傑作といわれている。実際、現在でも、多くの人々を心を 虜 ( とりこ ) 虜にしており、この「紅楼夢」に太刀打ちできるほどの完成度の高さをもった恋愛小説は、その後中国にあらわれていないといっても、過言ではない。
なお、作者の曹雪斤( 曹霑 ( そうてん ) 曹霑)という人の家庭は、本来大貴族の家柄で、お父さんの代まで身分の高いお役人だった。だが、彼が若い頃、皇帝が代替わりするとともに、家産を没収されて没落し、その後彼は、北京の片隅でひどい貧乏をしながら、この書を執筆したといわれている。恐らく、彼は、かつて〈何一つ不自由なく暮らしていたときに見聞きした世界〉を描くことによって、せめて小説の中で〈楽しかった過去の生活〉を実現しようと思っていたのあろう(実際、多くの人が、主人公の貴公子に作者の青春像の投影を認めている)。
皆さんも是非〈紅楼夢〉で、「情」の世界を堪能し、当時の大貴族の日常をバーチャル体験してみてほしい(岩波文庫や平凡社ライブラリーに訳本あり)。
●とにかく長い!でも読み終わりたい!
この書は、全百二十回(回とは、「章」にあたる、実際に曹雪斤が書いたのは、八十回まで)と長く、しかも複雑な筋立てである。
ストーリーの中心となる十八回〜八十回は、主人公の〈賈宝玉〉が、十三歳から十五歳までのわずか三年間のことを描いたものだが、登場人物は無数、その関係は、化学式のように複雑だ(小生も、学生時代にはじめて読んだときには、人物相関図を作成しながら読んだ)。しかも、その人間関係が、様々な伏線となりながら物語が進行していくため、いいかげんにはできない。もっとも、賈宝玉をはじめとする中心人物は、必ずどの回にも登場するため、いつの間にか覚えてしまえるし、また、苦労してでも一気に(徹夜しても)読み終わりたい、そんな魅力にあふれる小説である。小生も、がんばってざっとその荒筋をお話しすることにしよう。
――長〜いお話を手短に話すと――
●絢爛豪華な世界へようこそ!
清代(恐らく…)の金陵(=今の江蘇省南京市)に、〈賈氏〉という貴族の大邸宅(栄国公府)がありました。先祖は開国の功臣で、 絢爛 ( けんらん ) 絢爛豪華な暮らしをしています。主人は、〈賈政〉、その息子が、眉目秀麗の美少年、主人公の〈賈宝玉〉です。宝玉なんて、変わった名前でしょう。実は、口の中に宝石を含んで生まれてきたことからつけられた名なのです。
一言―この宝石、なくてはならないもので、なくなると、彼はカラータイマーの消えたウルトラマンのように「ふにゃっ」となってしまいます。
●賈宝玉は、色好み?フェミニスト?
栄国公府には、親戚一同が大家族で住んでいます。当然、その中心にいるのは、〈宝玉〉。また、常に宝玉の身近にいるのが、彼の従妹の〈 林黛玉 ( りんたいぎょく ) 林黛玉〉〈 薛宝釵 ( せつほうさ ) 薛宝釵〉という、二人の少女(この二人がヒロイン)です。この二人は対照的な性格で、黛玉は、か弱く神経質で人見知りするタイプ、一方、宝釵は、元気で明るく誰とでもうち解けるタイプ。宝玉をとりまく女性は、そのほかにも、腰元たちなど十二人(金陵十二釵)います。宝玉は、一日中彼女たちと遊び戯れています。
一言―女の子たちにかこまれて生活している宝玉は、(男尊女卑の当時では極めて珍しい)フェミニスト。そんな彼の名ぜりふが、「女の子の体は水でできている。男の体は泥でできている。ぼくは女の子を見ると、さわやかな気持ちになるが、男を見ると、臭くてたまんなくなるんだ」です。だからこそ、厳しい道徳家の先生方は、「なんて軟弱な奴だ」と、彼を批判したがるわけです。もっとも、悪と闘う英雄や人類愛をとなえる聖人も確かに大切ですが、時には、このような〈世俗のものさしではかれない〉、〈純粋な心性をもったお坊ちゃん〉に親しむことも、人間、時には必要ではないでしょうか。
さて、栄国公府の当主であり、宝玉のお父さんである〈賈政〉は、厳しくて頭の堅いお役人。彼は、賈家の跡取り息子の宝玉が科挙(=高級官吏採用試験)に合格することをひたすら願うお父さんです。ですが、宝玉は、(作者にいわせると)「世の中でこんなに無能で不肖なやつは二人といない」息子なわけです(トホホ…)。
一言―かつての中国は、大貴族でも、原則として一代限り。子孫が科挙に合格して、官僚になることができなければ、次第に没落してゆくよりほかはありませんでした。科挙受験生の賈宝玉は、一家の将来がかかった受験生だったわけです。
●軟派に見えて、純愛!
主人公の宝玉と従妹の黛玉、宝釵の三人は、〈耳と 鬢 ( びん ) 鬢の毛が触れあうほどの親密さ〉で育ち、非常に仲がよいのですが、宝玉としては黛玉の方が好きであり、二人の間には物心がついてから、知らず知らずのうちに恋が芽生えていきます。このあたり、二人の親密な交際のようすが描かれていますが、黛玉と親密に過ごす宝玉の自由奔放なふるまいは、実に画期的です。
かつて「男女七歳にして席を同じうせず」の中国では、実の姉、妹と同室になることさえも禁じられていました。ですが、宝玉は、黛玉と身を寄せ合ってひそひそ話をするだけならまだしも、熟睡中の彼女の部屋にはいると、同じベッドで横になりながら(!)、よもやま話をします。これだけでも、当時の封建的礼教社会においては、異常なのに、それだけじゃありません。ときには、くすぐりごっこまでしちゃいます。ですが、それ以上のことは、決してやりません。すなわち、宝玉は単なる「色好み」ではないわけで、彼らの交際は、〈限りなく純潔〉で〈下心ゼロ〉の〈清らかな〉交際なのです。
一言―なぜ、宝玉が宝釵よりも黛玉の方が好きだったか。これ、読んでいくとよく分かります。宝釵は、少女にしては、妙に世故に長け、老成しているのです。だから、まわりの大人に受けがよいでしょう。
それはそうと、ここで疑問が生じませんか。先ほど紹介した、あの堅物のお父さん〈賈政〉が、よくだまっているなあと。実は、当時賈家を支配していた「最高権力者」は、お父さんの賈政ではなく、賈政のお母さんであるご隠居の〈史太君〉であり、このおばあちゃんが、宝玉を甘やかし放題。〈女の子から遠ざけると、こころに異常をきたす〉という理由で(どんな奴だ!)、未婚の男女の接触を禁止する儒教の教えにそむいてまで、黛玉や宝釵との自由交際を認め、宝玉のお父さんである賈政には、文句一つ言わせなかったのです。かつての中国では、儒教の「孝」の教えのもと、子供は何歳になっても、親に絶対服従です。もしも、親の考えに背こうものなら、恐らく、世間からは総スカン、役人としても、出世の道をとざされたはずです。賈政は、おばあちゃんに従うしか、仕方なかったわけです。
●愛するおもいは、目と行動で!
宝玉と黛玉はもともと気心の知れた仲良しです。したがって、以心伝心で心が通じ合っているとはいうものの、相手への深い思いをなかなかストレートに言葉に出しません。あれほどいちゃついているように見えて、愛の告白は、あくまでも婉曲で曖昧な表現、誠意ある行動ですまそうとするのです。皆さんが、現代的な感覚で読むと、いらいらするかもしれませんが、男がそれとなく胸の内を示し、それを聞いた女が、思わず頬から耳元まで紅く染める。こういった上品な恋の表現もなかなかおつなものではないでしょうか。
一言―いったい、中国の恋愛小説では、男女の出会いの時には、下女が間をとりもったり、詩文のやりとりをしたりなど、手順が大変であるくせに、二回目の対面では、ほぼ例外なく「性交渉」と、今の若者から見ても、かなり飛んだ交際ぶりです。ところが、宝玉たちの交際は、その基本的なパターンとまっこうから対立するものです。男と女の話は数限りありますが、このような 純潔な恋はなかなかないといってもいいでしょう。
●さあ、ハンカチを用意して!
さて、皇帝の貴妃になっていた宝玉の姉〈元春〉のお里帰りを記念し、「大観園」という素晴らしい庭園&邸宅が造られます。ですが、これでまず身代にひびが入り、家運は、日一日と傾いていきます。そんな中、お父さんの賈政が、地方に転勤となります。おばあちゃん(史太君)や母親(王夫人)は、その出発前に、宝玉が黛玉を愛していると知りながらも、彼を宝釵(=おばあちゃんのお気に入り)と結婚させることにし、一計を案じます。すなわち、宝玉に、黛玉と結婚することができると思いこませ、宝釵と結婚させるのです。どうしてこんなことが可能かというと、かつての中国では、結婚式当日まで相手は顔を隠しており、誰だかわからなかったからなのです。相手が黛玉であると信じて疑わない宝玉は、結局宝釵と結婚しました。一方、恋に破れて絶望した黛玉は、早くから胸を病んでいたこともあり、宝釵と宝玉との婚礼の宵に、十七才で息をひきとります。ここを読むときには、絶対にハンカチが必要です。
一言―恋が結婚にいきつかない悲劇は、中国の恋愛小説に出てくるパターンの一つには違いありませんが、おおかたの恋愛小説のパターンは、最初に出会って「一見鐘情(一目惚れ)」した男女が、様々な困難を克服して、最後はめでたく結ばれるというものです。ですが、「紅楼夢」では、このパターンから逸脱し、思い合っている賈宝玉と林黛玉は、結ばれずに終わってしまうのです。恐らく、ここで、「けしからん」と思う読者もいたでしょうが、多くの読者は涙ポタポタで、本もびしょびしょだったことと思います(小生なんか、このシーンを思い出すだけで、泣けてきますから…)。
●ご都合主義のハッピーエンドと思いきや…
宝玉の結婚後、家運は、だんだん傾き、全く零落します(このあたり、賈家の没落にいたる歴史を描いているといってもよいでしょう)。そんな中、宝玉は、行いを改め、父の命にしたがって学問にはげみ、科挙(高級官吏採用試験)を受け、大変優秀な成績で及第します。また、妻の宝釵も妊娠し、再び賈家には春が訪れた感があります。このあたり、中国の小説によくある、ご都合主義ですが、ハッピーエンドと思いきや、ここからが、ほかの小説と全く違った展開になっています。
宝玉は、役人になっても、(自分の性格から)じき「家」に押しつぶされてしまうと知っていたのでしょうか。それとも、すべて満たされたことへの反動から虚無的な感じに襲われたのでしょうか。突然、地位も富も家庭も捨てて、お坊さんの導きによって出家遁世してしまいます。そして、長いお話も幕を閉じてしまうのです。
一言―お話は、お坊さんに連れられ真っ赤なマントを着た宝玉が、雪の中に消えていくシーンで終わります。いったい、中国文学は、「美よりも善を尊ぶ」といわれますが、この「紅楼夢」は「善よりも美を尊ぶ」んでいるようです。そのテーマは、〈美の追究〉であるといっても、過言ではありません。そして、美を追究した結果としての〈悲劇の連続〉。そこにも人気の秘密があったのではないでしょうか。
次回は「西遊記」のときと同じく、「紅楼夢」なぜなにベスト百科、乞うご期待!