【柳家三太楼、改め、三遊亭遊雀師匠、再出発おめでとう!】
6年前のこと、嫁さんの経営する会社が、創業十周年記念パーティー(於横浜シェラトンホテル)を開くことになった。名前だけの社長であるが故に、小生日頃経営には一切口を出さない(というか、出せない)が、パーティーや宴会となるとうるさい。「 三つのお願いを是非聴いてほしい 」と、嫁さんはじめ、役員、幹部に訴えたのであった。
その三つのお願いとは、
◎司会者はホテルの薦めるイベント会社のプロ司会者ではなく、思いっきり陽気な落語家さんにやらせたい( 結婚式的口調の司会厳禁 )。
◎派手にコンバットマーチでもやって、パーティーを盛り上げてもらうたに、早稲田大学の応援部( 当然含チアガール )を呼びたい。
◎自分と専務の殷さんとの中国旅行をネタとした、 かけあい漫才の時間をとってほしい 。
だったのだが、結局、すべてにOKが出て、パーティーも成功裏に終わった。

役員、ゲスト代表と鏡開き

早稲田大学応援部と応援中の小生
さて、そのときに(いってもいいのかなあ) 一日たった4万円 のギャラで司会をやってくれたのが、当時落語協会の二つ目落語家であった柳家三太楼師であった。
その司会ぶりは、漢文調でいうと、「首肯すること数四 (感心して、何度もうなずくほどに素晴らしい)」とでもなろうか。
とぼけた開き直り、いやみのないよいしょ、巧みな素人いじり、いや、どれをとっても、この人はきっと将来落語協会を背負って立つ真打ちになると(高座を聴いてもいなかったのに)思ったものである。
実際、彼はその半年後、 見事真打ちに昇進したのであった 。

(三太楼師(当時二つ目、現三遊亭三雀師と打ち合わせ中の小生)

(司会中の三太楼師)
この時以来、小生、三太楼師匠の情報をゲットすると、寄席へ彼の高座を聴きに行ったりしていたものだった。時に落語のイントロである「枕」でもち時間の八割を使うという脱線もあったにせよ。毎回楽しい高座を聴かせてもらっていた。
若手で、人気もある。香盤(寄席の進行表)で主任を取っても、意義を唱える者がいないほどの才能の持ち主である。
と、ところがである。
今年三月に、 何と師匠の柳家権太楼師とトラブル(師匠を殴った?)を起こしてしまい、破門され、落語家を休業してしまった 。
まさに小生には、青天の霹靂の出来事であった。まれにチェックする 落語協会のHPからも、ある日突然、彼の名前が削除されていた。見習や前座のうちに才能を見限られたり、素行不良だったりで破門になるならまだしも、真打が破門になった例は、立川談志師に借金で破門された快楽亭ブラック師(小生、この人も大好きー直接電話をいただいたことがあります)以降、なかったことである。
なんということ、それからは、落語協会のHPを三日に一度は覗きつつ、復帰を心待ちにしていたわけだが、ホントに待った甲斐があった。
彼の才能を惜しんでバックアップしてくれる師匠が現れると信じていたのだが、落語芸術協会の方の副会長・三遊亭小遊三師、そう、笑点でお馴染みのあの小遊三師匠の門下として再出発が叶ったのだ。はっきりいって、中堅層が落語協会に比べて手薄な感のある落語芸術協会に彼が加わると言うことは、たとえていうと、小生の愛するソフトバンクホークスの柴原や大村が、小生が二番目に愛する横浜ベイスターズに即戦力として加わるようなものである(こんなたとえでは、わからんわい!)。
三太楼師匠、いや、三遊亭遊雀師匠、いつかお金持ちになったら、是非「 お旦 (落語家さんのスポンサー、落語ファンあこがれの地位)」やらせてくださいな!
まずはおめでとうございます 。